芝は、自校の教育を工場ではなく「芝浜農園」だと表現しています。規格に沿うものを大量につくるのではなく、一人ひとりの育ち方に応じて手のかけ方を変える。その違いを、学校名の入った短い言葉にしています。
全員を同じ速さで進ませれば、管理はしやすいでしょう。しかし、早く伸びるところも、時間のかかるところも生徒によって違います。芝が掲げる「急がない。自分の歩幅で高みを目指す」という言葉は、ゆっくりでよいという慰めではありません。育ち方の違いを教育の前提に置く、という判断です。
だからといって、離れて待つわけでもありません。学校は、工夫をこらした授業や担任との個別面談で築く信頼関係を、生徒が安心して学校生活を送るための土壌としています。手のかけ方を変えるには、まず一人ひとりを見ていなければならないのです。
伸び悩みや停滞を感じるときにも、誰かがそばで支える。公式ページはそこまで書いています。結果が出ない時間を、本人の力がないと早く切り分けない。六年間という長さを、同じ型へそろえるためではなく、それぞれの変化を待つために使います。
私は、「芝浜農園」の魅力は、急がせないことだけではないと思います。必要なときに手をかけ、その方法を変えることまで含んでいる。自律を掲げながら放っておかない。その距離に、芝の男子教育の芯があります。
